県連でした。

演奏うんぬんよりも他の面で得るものが大きかった。

や、とまれ、演奏に関しては、あれだね。
ちらっと話があったけど、少し奢りすぎているのかもしれないね。
だから、ポジションをきちんと保つとか、子音を出すとか、そういう全く基本的なことがおろそかになってしまっているというか。自分たちはできている、という勘違いゆえに。勘違いというかおごりというか。

ま、でも、どうにかなるっしょ。
子細が決まったら演奏会の告知もしたい。


うーん、下げようかなと思ったけど、まあいいかと思った。

あの、馴れ合いの空気が嫌だ。
うまくもない人々の演奏を聴いて、じゃあさいごはみんなでうたいましょうーみたいな、だらだらした雰囲気が嫌い。
音楽として、は言い過ぎかも知れないが、芸術として成り立っていないのに、歌う意味はあるのか。
合同合唱も、意味があるとしたらハイレベルな団体のジョイントなどの合同であって、それは他団との技術的・精神的・その他もろもろの切磋琢磨ができるから重要・有意義なのだと思う。そうではなく、ただ楽しいから、いや今回の場合はそれですらなく、ただいつもそうだから、ってのは、本当に嫌い。
これは仕方ないけど、他団の知り合いと馴れ合ったり、それも勘弁してほしい。これは仕方ないけど。

団体同士はもっと殺伐としていていい。コンクールではないから評価・順位はないにしろ、自分の所の演奏は他の所よりもずっといい演奏(上手いとは限らなくても、いい、意味のある演奏)だ、と明確に発信できる、そういう気概がぶつかり合い、それが自分も相手も磨く、そういう殺伐さがほしい。
馴れ合い、付き合い、ほんとに嫌だ。

昨日の合唱連盟に登録する意味がわからんって話はこれが理由だと思う。(まあ登録したところで出なきゃいいんだけど)
極端すぎるかなと思うけど、それでも、やっぱりどうしても思う。


誰かに見てもらえる、とか、
誰かにわかってもらえる、とか、
誰かに喜んでもらえる、とか、 
誰かのためにやる、とか、


そういったことの実に些末であることよ。


誰か、は、いつか必ず、自分のことを忘れる。
自分のそういったことを忘れる。

モーツァルトやベートーヴェンなどの特別な人のそういったことは残る。
400年経っても残っている。
しかし、それは異常なことである。
大抵は、世は自分のことを忘れていく。
それは死ぬよりも恐ろしい。
しかしあらがえない。避けられない。

自分のことを忘れずにいてあげられるのは自分だけだ。
誰か、が、自分のことを忘れてしまっても、自分が自分のことを忘れずにいれば生きている意味がある。
そして、自分が自分のことを忘れなければいけなくなった時は、死ぬだけである。


本当は生命に意味はない。
人間だのが勝手に意味づけしているだけだ。
もともと意味のない命であるなら、自己本位に生きればいい。

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テーマ : 合唱あれこれ
ジャンル : 学問・文化・芸術

tag : 合唱

2009-06-15 : ふい : コメント : 3 : トラックバック : 0
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非公開コメント

お悩みのようですね。
昨日は恥ずかしい演奏になってしまい、終わったら一人でさっさと、泣きたい気持ちで帰りました。
まついさんの気持ちと少しずれた話になってしまうかもしれないけど、合唱連盟に関してはうちもいろいろありましたので、何かの参考になればと思います。
私たちのグループは結成7年経ってやっと連盟に加入しました。普通のおばさんである私たちは、合唱連盟をまるで次元の違う世界のように恐れ崇めていたらしく、先生から、合唱連盟加入の話が出たとき、団そのものがなくなりかけました。
先生としては、それまでにグループ内部で様々な勧誘活動が入り込んできたことがあり、合唱団として落ち着いた活動をするために連盟加入したいという想いがあったのですが、合唱よりお喋りを楽しんでいたり、子どもを先生のピアノ教室に通わせているので一方的に義理を感じていたり、そういうメンバーが多くいて、「そこまで合唱好きじゃない」人が一斉にやめていきました。
きちんと残った人は4人と先生とピアニスト。潰してしまうのに忍びなくてしばらく残った人もいましたが、新しく入ってくる人と入れ替わるようにやめていきました。
その後家庭の事情で泣く泣くやめた人、入っては見たけれど、やはりあわなかったようでやめた人など、増減を繰り返してやっと今の人数になりました。今でも、「趣味で続けるにはちょっと厳しい」という人がチラホラあり、どこへ向かうべきか、という悩みは続いています。私自身も、家族一緒でない活動に夫は冷ややかで、常に悩みの種であり活動の限界を区切られています。
一番古参のメンバーになってしまい、先生とメンバーとの間では今の所自分が要だと自負していますが、一番年下(!)でもあり、舵取りが難しいです。
なぜ合唱か、私の場合は、理屈がつきません。始めたのは親の勧め、といういい加減な始まりだったし。
ただ、今のグループで歌っているとき、極たまにですが、「合った」と感じる瞬間があります。(昨日はなかったよ(涙))
それは正しくは「合っていない」かもしれませんが、主観として感じることには音以外の要素を多分に含んでいると思うので、誰か他の人がいなくてはこの感じを得られません。
だから、「あの人と一緒に歌いたい」と思ってもらえるようになりたくて、いつももっと上手くなりたいと願っているし、パートのバランスが崩れれば積極的にパート移動もします。自分の為に、このグループを維持したいのです。
長々とすいませんでした。
ところで、佐藤先生はどこかで人魚の肉でも召し上がったんでしょうか?
最後にお会いしてから16・7年経つはずですが、まるで変わっていらっしゃらないです(汗)

2009-06-15 10:31 : okiyo URL : 編集
相手の気分を害さない範囲内で見下せばよいだけだと思うよ。「今2Hz低かったな!」なんて独りで思いながらニヤニヤするのです。そして後でその思いをメンバーにぶちまけるのです。きっと受け入れてくれると思います。
2009-06-15 23:50 : N.R. URL : 編集
>okiyoさん
結局どなたがokiyoさんかわかりませんでした…(笑)
なるほど、そういうこともあるのですね。合唱連盟の位置づけが少しわかってきたような気がします。
その団がどういう雰囲気か、どんな団でどんな方針か、それをきちんとわかっていないと、ずれた選択をしてしまうかもしれないですね。難しい。

>はまちゃん
そうやね。あまりにひどすぎて途中で飽きてきそうだが、そうするよりほかないな…。
2009-06-16 12:13 : まつい URL : 編集
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Author:まつい

フリーで作曲・指揮をしております。
ベルソンピアノコンクール演奏会編曲家
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愛知県立芸術大学音楽学部音楽科作曲専攻卒業
四日市市民オペラ「椿姫」副指揮者
三河市民オペラ「トゥーランドット」副指揮者
オペラ工房元副指揮者
名古屋音楽学校作曲科元受講生
混声合唱団名古屋大学コール・グランツェ28期OV
(名古屋大学文学部人文学科日本史学専攻近世史研究室卒業)
長良高校コーラス部平成14年度卒業生

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